惑星ナンバーナイン

愛のすべてが、ここにある

A Sky Full Of Stars

「彼の奥さんには内緒ね」

 


サイゴンの裏路地で、数年振りにストリングスに会った。春にわざわざ日本まで飛んで彼を訪ねたのだという。

 


花の命は短い。出会った頃は小娘だったストリングスは貫禄のあるベテランになっていた。

 


オフショア開発、という言葉がある。システム開発業務を海外の企業に委託することを指す。その目的の多くは、発注国と受注国の経済格差から生じるコストメリットである。

 


そもそもオフショアは金融業界において、所得の海外移転や税制の差により受けることができる益税・節税効果などを目的とした海外事業全般を指す言葉であった。

 


70年代に欧米で始まったオフショア開発の潮流は80年代の日本に押し寄せた。日本企業のオフショア開発は瞬く間に中国で広がり、人件費の高騰と共にインドそして東南アジアに徐々に移行することになる。

 


時は移ろい2010年代前半のサイゴン。あの頃ボイジャー達は本当によく酒を飲んだ。ボイジャーは彼のことを親しみを込めてリトルボーイと呼んだ。

 


日本人街のヘム(路地を意味するベトナム語)は今よりずっと静かで、ベトナム人が経営する不味い和食屋と日本人が経営する不味い和食屋を削っていた。ガールズバーやマッサージが隆盛を極めるのはずっとずっと後のことだ。

 


ボイジャーリトルボーイが根城にしていたのは後の流行に先鞭をつけることになる小さなガールズバーだった。チャージも時間制限もなく、地方のスナックを学生が経営しているような緩さが心地よかった。通い詰めたリトルボーイは英語が話せるようになった。

 


ベトナム出張?ハノイサイゴン?どっち?」

 


ベトナムをよく知る知人に問い合わせると、めんどくさそうなリプライが返る。2010年代の前半、渋谷のIT界隈にいたボイジャー達の間でもオフショア開発は大いに流行した。

 


技術者派遣や受託型と並んで、当時注目されたのがラボ型開発である。固定の開発者メンバーのアサインとオフィスなどの環境をワンストップで提供するこの方式は、発注側にとってはスタートまでのリードタイムが短く予算化しやすい。受注側にとってはコスト見積がしやすく、(失礼ながら)技術を分かっていない営業担当者でも売れるというメリットがあった。

 


ガールズバーにはお茶を引く学生があふれていた。田舎から出てきた学生が働くには好都合なアルバイトだったし、みんなピュアだった。よくもあんな安い給料で働いていたものだ。

 


店の常連は次々とガールズバーの女の子と恋に落ち、その半分は結婚を選んだ。そのままサイゴンに住んでいるのもいるし、妻となった恋人を連れて日本に帰ったひともいる。

 


リトルボーイとストリングスが深い仲になったのは、そんな時代だ。ただし、問題がひとつ。リトルボーイには日本に家庭があった。

 


「今度日本行く時に書類を一通持ってきてもらえませんか?」

 


リトルボーイボイジャーの発注先企業は瞬く間に勢力を伸ばし、同じフロアに小規模なスタートアップの日本人担当者がたくさんいる状況が生まれた。

 


彼らはオフィスをシェアしているだけで違うビジネスをしているので、お互いのビジネスのことは何も知らなかった。

 


反面、インフラ、物資、情報は圧倒的に不足しており、互助会のような形でよくやりとりをした。だからすぐに仲良くなり、先述の通りボイジャーリトルボーイは飲み歩くようになる。

 


時は流れボイジャーはラボ型開発から撤退し、リトルボーイサイゴンには常駐せずにたまに出張してくるスタイルとなった。

 


とあるスタートアップに勤めていたリトルボーイはその後も日本にいながら遠隔でサイゴンのオフショア開発チームを数年間指揮していた。

 


ある年のある時、それは突然訪れた。

 

 

リトルボーイの訃報。テト(旧正月)の少し前、サイゴンで彼と酒席を重ねたのがボイジャーの見たリトルボーイの最後の姿となってしまった。

 


「彼の奥さんには内緒ね」

 


ベトナム南部女子特有の、いたずらっ子みたいな表情に向かって、言える訳ないだろ、とボイジャーは肩をすくめる。

 


ストリングスに写真を見せてもらった。日本では墓場で写真を撮るもんじゃないんだ、そう言ってボイジャーが嗜めたが、もしかしたら最近の若い子は違うのかもしれない。

 


リトルボーイサイゴンに戻ってくるのを待っていたストリングスは、訃報を聞いて、発狂した。葬儀に押しかけると言い張る彼女を、周りの女の子たちが必死で諫めたと聞く。

 


念願が叶って余程嬉しかったのだろうか。場末のバーのカウンターの端でストリングスは泣きながら笑った。泣き笑いの彼女はリトルボーイボイジャーや、仲間たちとの昔話をした。ボイジャーは黙ってそれを聞いていた。

 


「生きてたんですね」

 


最近SNSを更新していなかった知人に、ロックスターの葬儀で、友人の雑誌屋が言った。

 


SNSを更新しないと僕らは死ぬのだろうか。そうではないし、そうでもある。

 


人は肉体が滅んだ時に死ぬ訳ではない。すべての人がリトルボーイを忘れた瞬間に、彼は死ぬのだ。

 


彼はまだ生きている。奥さんにとってのリトルボーイはいつまでもベトナムに出張しているし、ストリングスにとってのリトルボーイは長い長い一時帰国の途上なのだ。

 


ストリングスの物語を、ボイジャーは雑誌屋に打ち明けた。雑誌屋の言葉は、正鵠を得ている。

 


道ならぬ恋はどんな形であれ、いずれ終わりを迎える。終わりが訪れず、道ならぬ恋を続けるストリングスの魂は、今夜もサイゴンの裏路地をふわふわと、漂っている。

 


「どんなに愛してたってね、最期のお別れには出られないの。それが妾と奥さんの違いなのよ」

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