惑星ナンバーナイン

愛のすべてが、ここにある

You Could Be Mine

モー娘。で誰が一番好き?」

 


ゴマキがオンラインゲームのチャットで繰り出した質問だ。のちの不倫相手となる人物に。

 


時は遡り、西暦2000年。年明けすぐの渋谷、線路沿いのリハーサルスタジオにて、全く同じ質問をボイジャーに投げかけた男がいた。職業、ロックスター。

 


初めての顔合わせ、約束より15分前に着いたスタジオ、待合スペース、刺青だらけの腕、さらけ出したバンドマン、3人。彼らが飲み干した缶ビールが山となっていた。

 


「帰ろう」

 


直感を信じて見つからないように踵を返そうとしたが、目敏くボイジャーを見つけたロックスターがボイジャーに放ったのが冒頭のセリフだ。端正な顔立ち、ロン毛に赤いバンダナ、革ジャン、髑髏柄のスパッツ、マーチンのブーツ、クロムハーツのブレスレットが目に飛び込む。ボイジャーはシラフで中澤裕子、と答えた。酔っ払い達は大いに盛り上がった。リハスタの中の出来事は覚えていない。

 


それからが大変だった。大学を卒業して無職となり図書館で一日を過ごしていたボイジャーの生活は一変した。三宿や三茶、若林で毎晩酒を飲むようになった。酒を飲むために就職もした。申し訳程度にバンドもやった。

 


バンドがダメになった後も、事あるごとに集まっては飲んだ。「事あるごとに」というのは語弊があって「だいたい毎日」、そう、だいたい毎日酒を飲んでいた。

 


ロックスターをボイジャーはステージネームで呼んだ。長年ファーストネームだと思っていたそれは、のちに判明した本名によると父親のファミリーネームだった。SNSがなかった時代である。みんなバンド仲間の本名なんて知らずに過ごしていた。いまでも本名を知らない人がたくさんいる。

 


ロックスターは仕事をしていなかった。自らをトレジャーハンターと名乗った。親の遺産があるとか、昔の職場からくすねた金が大量にあるとか、何かのブローカーとして儲けているとか、噂はいろいろあった。真相は今も知らない。

 


ロックスターは携帯を持っていなかった。けれど夜は家にいるので固定電話が繋がる。ロックスターに電話が繋がらない日はいつも、ボイジャーと仲間たちはマンションの向かいの雑居ビルにある居酒屋の窓際に陣取り、彼の帰りを待った。部屋の電気がつくと電話をかける、というような具合だ。選択肢はない。飲むか、たくさん飲むかだ。

 


平日だろうが祝日だろうがとにかく酒を飲んで騒ぎ、最後は明け方の鬼ごっこか花火で終わった。書けないこともいろいろあった。

 


ロックスターには10か12か下の、とにかく年の離れた彼女がおり、たまに一緒になることがあった。生来の照れ屋のせいなのか、彼の年代のせいなのか、ともかくロックスターは彼女-メイプル-について語ることはついぞなかった。メイプルが彼にとって大切な存在であるというのは傍目からも良くわかった。

 


ボイジャーとバンドをやっていた頃、ロックスターはこんなことを言っていた。

「早く日本を出て外国に住みたい。でも母親が生きてるうちは心配だからさ」

「もし母親が死んだら、さっさとカリフォルニアに移住するよ」

ボイジャー、俺ら絶対売れるんだから、そしたら、ロングビーチをオープンカーでぶっ飛ばすんだよ」

 


ボイジャーは旅行も嫌いだし海外に行ったこともほとんどなかったので、その頃は

「夢でけえ、ロックスター、やっぱカッケェ」

としか思わなかった。まさか自分が先に海外に住むとは思わなかった。

 


時は流れてロックスターとはすっかり疎遠になってしまい、ボイジャーが海外に住んだこともあって彼の連絡先はわからなくなった。風の噂では実家に帰りメイプルとも別れ職を転々としているとのことだった。

 


ある日かつての仲間から一本のLINEが入る。

 


くだんの彼女、メイプルが高熱で救急病院にいたところ、偶然ロックスターの母親がいるのを見かけた、人が倒れて搬送されたらしい、クロムハーツと刺青の話をしている、もしや彼の身に何かあったのでは、と。

 


結論から言えばメイプルの予感は悪いほうに的中してしまい、通勤途中に倒れたロックスターは病院でそのまま帰らぬ人となってしまった。

 


昔の伝手を頼ってロックスターの親族に辿り着いた仲間たちは、許可を得て葬儀に参加することとなる。そこには喪主たる彼の兄が驚くほどの人数が集まった。もっとも誰も喪服なんて着ていないので傍目にはバンドのフェスでもやっているように見えたのではないだろうか。大音量のKnockin on heaven's doorが鳴り響く中、思い思いの格好をしたボイジャー達は盛大にロックスターの旅立ちを見送った。

 


偶然の邂逅がなければ、誰もロックスターの死を知ることなく終わった話だった。寺の境内で泣き止まないメイプルをぼんやり眺めながら、世の中よくできているものだ、とボイジャーは思った。

 


ロックスターがメイプルと別れた時期も理由も知らないし、今更それを詮索する趣味もない。だけど、ひとつ腑に落ちなかったことがある。長年、時を共にしていたロックスターとメイプルがどうして籍を入れなかったのか。

 


荼毘に付す間、隣席となった旧知のフォトグラファーとボイジャーは話をした。ロックスターと同い年のフォトグラファー氏、ファインダー越しにひとのことを良く見ている好人物である。

 

 

積年の疑問はすとんと腹に落ちた。何のことはない、結局ボイジャーは盃を重ねただけでロックスターのことなど何も理解していなかったのだ。

 


「あいつはね、他の全てに対して不真面目だったけど、あの娘にだけは真面目だったんだよ」

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