Me and Mrs. Jones
「もうあの国には行きとうない」
ロダンからその言葉を聞いたのは、ボイジャーがまだ学生の頃だった。彼が大陸から戻ってきて、仕事をせず分家で猫を撫でてばかりいた頃だ。
ロダンはあの国が嫌いになったのだ。ボイジャーはそう思った。ロダンは父方の親戚で、無口で、無趣味だった。
無趣味というには語弊がある。パチンコ、競輪、競艇、とにかくボイジャーとは相容れないものが趣味だった。それでもボイジャーが小さい頃は良く将棋をして遊んでもらった。
「ほれ、持っていけ。今日は勝ったでな」
三重県には大晦日から元旦にかけて夜通しでパチンコを打つという奇習がある。
元旦の夜に分家に行くとロダンは必ずチョコレートかクラッカーか何かのお菓子をくれた。パチンコというのは勝っても負けても景品を持って帰るものなのだ、というのを知るのはそれよりずっと後、ボイジャーが藤棚商店街のパチンコ店でアルバイトを始めた時だ。
とにかく、大人は正月三ヶ日のほとんどをパチンコ店で過ごす。少なくともボイジャーの周りはみんなそうだ。
ボイジャーが幼い頃から、ロダンはずっと工場で働いていた。ロダンはずっと独身だった。工場勤めは男性ばかりで周りに女性がいない、とは別の親戚の弁だ。
ロダンに学歴があったのかなかったのか、何の工場だったのか、細かいことは分からない。とにかく3交代の工場勤務で、晩飯時に分家を訪ねると夜勤で不在のことも多かった。
「工場に女の子なんておるかいやさ。男しかおらへん。気楽やでええ」
47ある都道府県の中で何故、三重県だけがパチンコ店の終夜営業を許されているのか。伊勢神宮があるからだ。
神宮。通称、伊勢神宮。125社ある伊勢神宮の頂点、内宮(※ないくうと読む)の祭神は天照大神である。年に一度、新年に天照大神との謁見を目指すのは今上天皇や内閣総理大臣だけではない。我々下々の氏子も初詣と言えばお伊勢参りだし、ブラックエンペラーやスペクターや三狂連といった当時の全グレの皆さん、反社の皆さんも歴史的経緯も相まって数多くお宮に訪れる。
ある時、ロダンは指を失った。右手が左手か、どの指だったか、まるで覚えていないがとにかくその日、ボイジャーの家は大騒ぎになった。
聞けば工場の旋盤の取り扱いでミスをしたのだという。ボイジャーが子どもの頃は周りでよくこういう話を聞いた。いまは自動化が進んで危険な作業を人間がすることは減ったのだろうと思う。
最終的にロダンの指は本人の尻か胸か、どこかの肉を持ってきて見た目は再生された。痛覚があるのかとか、自由に曲がるのかとか、そんなことは知らない。世の中に「労災」というシステムがあることを、ボイジャーはこの一件から学んだ。
怪我をしてからロダンの行動範囲はさらに狭まり、徒歩で行けるパチンコ店によく行くようになった。ボイジャーもたまについて行ってジュースを飲んだりキッズスペースで漫画を読んだりした。
「おい、弥富に行くぞ。お前も行くか?」
名四国道沿いにあるパチンコ店のスロットコーナーは三重県民で溢れ返っていた。県民には県民の特徴がある。お互いがお互いについて県民であることを識別する。僕らはフランス人とスペイン人とイタリア人の区別がつかない。だけど彼ら同士はお互いを認識出来る。同じことだ。世界はそういうふうに出来ている。
当時、三重県ではスロットマシンが禁止されていた。三重県民はスロットを打つために揖斐川と長良川と木曽川を渡り愛知県の弥富に行かなければならなかった。三重県民にとっての「弥富」とは、スロットマシンを指す符号だった。
法規制は需要の矛先を変えるだけで消し去る事はできない。リノのスロットマシンにはカリフォルニアの市民が集い、バベットのスロットマシンにはベトナム人が集まり、弥富のスロットマシンは三重県民で溢れかえる。同じことだ。世界はそういうふうに出来ている。
「お前はお前の親父そっくりや。この辺におっても、ひょろい頭でっかちが働くとこなんてないぞ。大阪行け。」
伊勢神宮を目指すには旧伊勢街道、国道23号線を下らねばならない。天皇陛下から愚連隊までがこぞって通るには、国道は貧弱すぎた。正月三ヶ日の渋滞は起こるべくして起こる。
そして渋滞はさらに大きな問題として地元の住民を悩ませる。人は食事をせねば生命を維持できないし、食事と排泄は常に一対なのだ。
東京はテレビの向こう側の世界だった。遠すぎるし、第一、東京には近鉄電車が走っていない。ボイジャーにとっての都会、良い進学先、そういった言葉が指すのはせいぜい大阪と京都だった。あのロダンの言葉がなかったら、ボイジャーが都会の大学を目指すことはなかった。
大学受験をパスし郷里を離れた頃、ロダンに大陸行きの辞令が出た。いまでは考えられないことだが当時は大陸のほうが貧しくて、日本の第二次産業はこぞってあちらに工場を作ったのだ。経験年数があり独身で出世の見込みのないロダンに、現地駐在の白羽の矢が立った。
「もうな、指なくなってからな、パチンコは長いこと打っとれへん」
コンビニエンスストアもまた、ドラマの中でしか見たことがなかった。ましてや国道23号線の終着点にある大御神の御御住まいは、周辺に何もない事をその存立意義としている。渋滞の車中に蓄積された無数の排泄欲の扱いに苦慮して、三重県警と公安委員会は一計を案じる。
パチンコ店のトイレは広くて数が多くていつも清潔だ。街道沿いにあるパチンコ店に、終夜営業して参拝客たちにトイレを貸すように要請したのだ。以来、正月の初打ちは深夜から、というのが三重県ではあたりまえの常識となる。
大陸にいた頃のロダンの様子は知らない。年に一度帰ってくるか来ないかだったと思うが、その頃のボイジャーはもう分家に行くことも彼に会うことも少なくなっていた。
だから以下の話は又聞きである。だけど大部分は真実だ。
生涯恋人もなく寡趣味だった男が大陸に渡り、内陸の田舎街で恋に落ちた。選りに選って住居にしたアパートの隣家の人妻とである。
最初はただの近所付き合いだった。言葉も分からず、土地勘のないロダンを人妻はあれやこれやと世話をした。そのうちにロダンの食事や洗濯の世話をするようになり、ついにはロダンの部屋に入り浸るようになった。
相手の亭主は激怒した。かの国の法がどのように対処したのか、または法の外側で対処したのか、今となっては知る由もない。とにかくロダンを派遣した会社は弁護士を使って丸く収めた。
当地で職務を継続できなくなったロダンは帰国せざるを得なくなった。会社も辞めてしまった。亭主への慰謝料の類はもちろん自己負担である。それまで郵便局と第三銀行に貯めた金は全て相手方に渡した、と聞いた。
恋人と貯金と職を一度に失い、ロダンは猫を撫でるしかやることが無くなった。猫を撫でるその背中は一気に数十歳も老けたかのように見えた。
親戚の集まりは、しばらくこの話で持ちきりだった。田舎には娯楽がない。どこそこの誰彼がどうしたこうした、同じ話を一日中している。どうかしている。
最初から夫婦でグルだった説もあり、人身売買同然に他所の農村から来た人妻が逃げたがっていた、という話もある。真相は藪の中、御婦人方の想像力は今も昔も豊かだ。
その年の年末を分家で過ごしたボイジャーは、紅白が終わると従姉妹たちと連れだっていつものように近所の神社のどんどん焼きに出かけた。そして初打ちをしにいくロダンが自転車で出かける場面に出くわす。
嬉しいことがあっても辛いことがあっても、新年が来るとパチンコ店は終夜営業を始める。そして嬉しいことがあっても辛いことがあっても、僕らは深夜の開店待ちの行列に並ぶのだ。世界はそういうふうに出来ている。
先日、ロダンを産んだゴッドマザーが亡くなった。享年一百余、大往生である。いつぞや、ゴッドマザーとボイジャーとの最後の謁見に際してロダンの話になった。冒頭のロダンの言葉の意味をずっと履き違えていたことを、ボイジャーは悟る。
ロダンはきっと、まだあの国を愛している。恋しくて仕方ない。だから、もう行きたくないのだ。
「ロダンはなぁ、あの国で何もかも失のうたけど、私な、あれでよかったと思うんやわ。あれがなかったらなぁ、あの子の人生、何の彩りもない詰まらんもんやったやろ」