Rock The Night
「ロールパン好きか?好きなんだろ?」
いえ違います、とボイジャーは答えた。
300人以上のアルバイトが働く原宿の巨大なオフィスでボイジャー達は孫正義とルパート・マードックが仕掛けたメディアビジネスの最前線で戦っていた。
紛れもない闘争だ。20年後に振り返った今でも、あれらは戦いの日々だ。
「は?ロールパン好きって言えよ!」
え、なんで。とボイジャーは答えた。
髪を銀色に染め上げて縦にも横にもデカい図体をしたその男、フュリアスはボイジャーの正面に腰掛け、ボイジャーを睨む。
神宮前エリアはオシャレなカフェが多く吉野家からは遠い。当時のボイジャーは時給の1時間分をランチに充てることなど考えられない経済状況だった。
金がない理由はバンド仲間と酒を飲むからだ。昼休みはいつも休憩スペースの隅っこで、前夜に深夜スーパーで半額で買ったロールパンを持ち込んで食べていた。
偉い人達が衛星放送の会社を2つくっつけてクソださい名前の通信会社が出来上がった。
ガソリンスタンドや家電量販店で、来客にスピードくじを引かせる。くじの中身はほとんど2等だ。1等は入っていない。2等の商品は、衛星放送のチューナーである。
NetflixもYoutubeも生まれていない時代だ。人々は今よりずっと暇だった。チューナーが当たった人はたいそう喜んだ。のちにナントカBBで大問題となる営業手法である。考案したのは天才か悪魔かその両方だ。
「お前バンドやってんだろ?」
ボイジャーは無言で小さくうなずく。フュリアスはなおもボイジャーに迫る。正直に言ってチビりそうになるくらい怖い。
フロアに300人いるアルバイトのうち、150人以上がカラフルな髪の色をしていた。残りの半分はウンコ色の髪をしたギャルである。アムラーという言葉がまだ残っていた。
チューナーを手に入れた人は、衛星放送会社と契約して、スクランブル解除をしなければならない。
そもそも衛星放送を受信するためにはパラボラアンテナを設置する必要がある。一般家庭にはあまりない代物だ。ここは東京だ、ヤンゴンじゃない。
自分でパラボラアンテナを設置することももちろん出来る。しかし屋根に登って設置する途中で死んだ人がいた。ただただ、危険だ。
偉い人達は考えた。クソ番組を集めたクソ番組盛り合わせセットを作り出し、クソ番組盛り合わせセットに申し込むとアンテナ設置の工事費をも無料にした。クソ番組の中で一番人気があったのは釣りの番組だ。あとは推して知って欲しい。
「どこのライブハウス出てんのよ?」
いやーギグァンテックとかスね、とボイジャーは答えた。正直に言うとこの頃は活動停止していてボイジャーのバンドは集まって酒を飲むだけの集団となっていた。
クソ番組セットは4年契約である。4年間クソ番組を見ないといけない。クソ番組以外の番組を見るとPPV(ペイパービュー)で更に課金される。途中解約するには4年間を通算して払う額の半分以上の違約金を支払う。さらにチューナーを箱に入れて返さねばならない。箱がないとチューナーは消費者の買取となる。これは規約にきちんと書いてあり契約上の法的問題はない。ただ、ただ、とても小さい字で書いてある。
「音源、ねーの?」
ないッス、とボイジャーは答えた。本当は音楽活動などやってない金髪野郎、いわゆる丘ロッカーなのだ。あるはずもない。
不動産屋には公認会計士の勉強中と言って部屋を借りた。そのためにボイジャーは公認会計士の本を一冊買った。読んだことはない。
毎日物凄い数のチューナーが貰われていった。毎日物凄い数の工事依頼が産まれた。工事会社のキャパシティをとっくに超える量の依頼でオフィスは溢れ返り、リスケした工事はさらに次の日のリスケを誘発した。
2つの衛星放送会社をくっつけたので静止衛星が2つ、地球の周りを旋回している。同じ方角にはいない。同じ方角にいないから電波の受信角度が違う。2つの衛星を捉えられる最大公約数のレンジの角度にアンテナを設置しないと番組は見られない。だがしかし、アンテナは強風で向きが、ズレる。
「なんだ音源ねえのかよ。しょぼいな」
すみません、とボイジャーは答えた。この時初めて、音源がないことはしょぼいことなのだと認識した。そんなことさえ知らなかった。
すみません、すみません、スミマセン。この頃のボイジャーは呪文のようにスミマセンを唱えていた。
毎日ありとあらゆるクレームが入る。チューナーの箱を捨ててしまった。番組がつまらない。違約金なんて聞いてない。雪でアンテナの金具が折れた。配線のパテが甘く隙間風が入ってきて寒い。工事会社が時間通りに来ない、工事会社が時間通りに来ない、工事会社が時間通りに来ない。
その年のゴールデンウィークに浜崎あゆみがライブをやることになった。地上波では中継せず衛星放送のみの中継ということだった。
世界の半分が浜崎あゆみ、もう半分が安室奈美恵で出来ていた時代だ。もう無茶苦茶だった。申込は殺到し工事の待ち行列が1万件を超えた。
クレームの嵐の中、一番過酷な案件の処理を請け負うのがフュリアスがいた部隊である。見た目は厳ついが仕事も厳つかった。
日々発生するリスケの嵐を制し、ある時はエンドユーザーを説得し、ある時は下請会社に頭を下げて翌日の工事をもう1件増やす。キツい仕事は全てフュリアスに回る。
「まぁいいや。次のライブ決まったら日程教えろよ」
真面目に音源を出す。コンスタントにライブをやる。オーディエンスにハガキを書く。物事に向き合う姿勢しか物事を変えることは出来ない。そんなことさえ知らなかった。
浜崎あゆみの騒乱が終わった頃、池袋の会社に仕事が移りボイジャーとフュリアスの衛星放送チームは急激に縮小した。
300人のアルバイトは10人に減った。ボイジャーもフュリアスもその中に生き残った。そうこうしているうちにボイジャーは新しいバンドで活動を始めたが、ボイジャーのバンドもフュリアスのバンドも結局、売れることはなかった。
いつぞや、誰かの結婚式でボイジャーはフュリアスにバッタリ会った。フュリアスは、どこかの会社の偉い人になっていた。
フュリアスは体裁を誰よりも気にしたし、それでいて中身が伴っていないことにいつも怒っていた。彼はずっとロックだったし、今も終わらないロックパーティを続けている。
「俺たちはロックやってんだよ。金がないとか口が裂けても言うんじゃねえよ。お前はロールパン好きだから毎日ロールパン食ってるんだよ。そうだろ?ロールパン好きって言えよ」